所在地 中京区 |
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選定番号 第12-024号 |
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推薦理由(抜粋) 慶長13年(1608)に糸割符商として創業し、天明年間(1781〜1789)に酒造業も始め、両業を家業とした。建物は、明治16年(1883)に再建された大規模な町家で、現在は貸会場、ギャラリーとして活用している。 認定番号
第217号 認定理由 嶋臺は、家伝では江戸時代初期に糸割符商を創業したことに始まるとされる。同家は南北の2店の糸屋を商っていたが、北糸屋の系統を継いだ山田長左衛門は、江戸中期には酒問屋商を兼業するようになり、現在の嶋臺に繋がっている。なお、嶋臺の名は、酒店で商っていた酒の銘柄から採用されたものである。屋敷は元治元年(1864)の大火による焼失後、明治16〜17年(1883〜84)にかけて再建されたものであった。この際の屋敷構えは、御池通に面して糸店を配し、東洞院通側には酒店、車屋町通側に面する敷地西側部分には居住空間(本宅)を配置する大規模なものであった。その後、昭和30年(1955)に本宅部分は取り壊され、糸店の表屋部分、酒店、土蔵3棟が残された。また、本宅の書院部分が糸店の北側に曳家され、現在の建物配置となった。 糸店は御池通に面する間口約7間半の町家で、中央やや東寄りに入口を設け、入口東側の部分は棟高を落としている。入口を入ると玄関土間が配され、左右のミセ部分には低い板床が張られている。酒店は東側の東洞院通りに面し、間口約5間半である。昭和30年以前は、上手には床を張ったミセ空間があったが、現在は、全て土間として2棟の土蔵を取り込んだ形式となっている。いずれの店も1階を格子、2階をむしこ窓とする外観である。糸店の北側には中庭を挟んで書院が配置されている。12畳半の座敷(大書院)、9畳の次の間、仏間が残る。座敷には約1間2尺幅の床を備える。通りからは間口の広い伝統的な町家の意匠と2棟の土蔵、酒店の妻面が現れて、ビルの立ち並ぶ一角に歴史的な景観を構成している。 嶋臺は、京都の大店の構えを現在に伝える明治前期の町家として評価される。また、御池通沿いに歴史的な景観を残す構成要素としても重要である。 国登録有形文化財(建造物)、歴史的意匠建造物 ホームページリンク: 嶋臺のホームページはこちら(外部リンク) |
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