所在地 左京区 |
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選定番号 第10−013号 |
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推薦理由(抜粋) 陶芸家・楠部彌弌の居宅兼陶房。以前の粟田口の居宅の部材を一部に用い、昭和13年(1938)に建てられた。ろくろ場も残り、往時の製作の様子を伝える。 認定番号
第213号 認定理由 楠部家は、平安神宮鳥居近くの神宮道沿いに所在する、陶芸家・楠部彌弌(1897〜1984)の居宅であった建物である。陶工であった父・千之助は明治21年(1888)に粟田口に「楠部陶器貿易工場」を開業し、海外輸出用陶器の製造・販売を行った。彌弌は画家を志していたが、父の勧めにより京都市立陶磁器試験場附属伝習所に入所したという。その後、職人ではなく芸術的創作を志し、大正7年(1918)に粟田神社参道脇に工房を構えた後、昭和14年(1939)、現在地に自宅兼工房を構えたのが現在の楠部家の建物である。普請に際して、錦光山製陶所内にあった住宅を移築したと伝わる。同社は江戸時代から粟田焼の窯元として知られたが、明治前期には7代・錦光山宗兵衛による京薩摩が有名であった。 錦光山製陶所から移築された建物は、陶芸家である初代・宮永東山が同社に勤務していた頃に社宅として提供されたもので、明治34年(1901)頃に遡ると考えられる。これが木造2階建ての現在の主屋に相当するが、部材の状況から古い建物に増改築が加えられた状況が見られる。通りに面して板塀を巡らす外観で、門を入った玄関間の窓は板塀に設けられた出格子となる。奥には床を備えた8畳間が配され、織部燈籠が用いられた奥庭に面している。敷地の北側には工房であった木造2階建ての「仕事場」が現存する。1階は土間空間の一部に板床を張り、轆轤2台を配する。2階は書生室として用いられていたという。なお、昭和40年(1965)には清水焼団地に工房を移転して以降、絵付けの作業場や居宅として用いられた。 楠部家は、陶芸家・楠部彌弌の居宅兼工房として昭和初期に建てられた建物である。居宅に加えて製作空間がそのまま残されており、彌弌の業績を偲ぶ場となっている。神宮道に面して粟田焼が栄えた頃の歴史を伝える点でも極めて高く評価される。 |
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