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竹中家(たけなかけ)[Takenakake]

所在地
 左京区
 
選定番号
 第2−008号
  


推薦理由(抜粋)
 「水車の竹中」と呼ばれ,地域のランドマーク的存在の精麦工場であった。母屋と工場の一部と石組の水路が残る。前の小路とともに白川の景観をつくる。



認定番号
 第182号

認定理由
 竹中家は,琵琶湖疏水の水力を用いて精麦工場を営んでいた家で,白川沿いに位置する。現在,主屋と精麦工場棟の北側半分が残るほか,水路も維持されている。同家の前面には,かつて製氷工場におが屑を運ぶために架けられた欄干のない橋(通称「もっこ橋」)があり,白川沿いの景観要素として親しまれている。疏水の水力利用は,明治24年(1891)の「京都市有疏水水力使用条例」公布より始まる。同年,米商・山本熊次郎が疏水から水路をひき,水車を設けて精米を開始した。その後数人の所有者を経て,大正5年(1916)に,滋賀県出身の竹中亀吉が敷地を購入し,主屋と工場を整備した。現存する建物も同時期の建築と考えられる。
 主屋は白川に面して板塀を設け,前庭を配した奥に建つ木造2階建ての建物である。南側に通り土間を設け,土間境に4畳間,上手に6畳間をそれぞれ2列並べる平面で,町家の影響を受けつつも農家型の構成をとる。現在,台所土間は床が張られているが,床下には現在も水路が流れている。主屋南側には旧精麦工場棟の奥側半分が現存し,喫茶等のスペースとして活用されている。旧工場棟の前面には石を積んだ法面を見せる水路があり,当初は木製の水車が設置されていた。
 竹中家は,水車を用いた精麦業者の生産空間と居宅を残し,琵琶湖疏水の水力利用の歴史を伝える場として評価される。市民や観光客から親しまれている白川沿いの歴史的景観の要素としても重要である。



 歴史的風致形成建造物



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