所在地 左京区 |
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選定番号 第3-005号 |
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推薦理由(抜粋) 蔵には5月に行われる八瀬祭の衣装を収める。祭の役を引き受けるためには,道具だけでなく神棚などの空間が必要で,大事に引き継いでいる。主屋は明治6年(1873)に亡くなった当時の主人が建てたと伝わる。水田越しに見える白壁は見事である。 認定番号
第183号 認定理由 玉川家は,左京区八瀬の集落に立地する。八瀬天満宮の宮座に属し,朝廷に奉仕をした八瀬童子の家柄である。同家は過去帳からは正徳3年(1713)には遡り,元々は林業を生業としていた。南側の通りに面して門を構え,主屋,離れ,2棟の土蔵,納屋などが建つ。主屋の南側には春日灯籠などを置き,白砂を敷いた庭が配されている。 主屋には明治の初めに没した当主によって建てられたとする伝承が残るが,部材の状況からも,江戸末期の遺構と考えて齟齬は見られない。間口7間半,奥行き6間の農家建築である。昭和40年頃に茅葺屋根へ鉄板が被せられたが,棟飾の板金細工は精緻で興味深い。平面は,玄関横に室(「ネマ」)を置き,奥には広い土間が配されてクド(カマド)が維持されている。上手の居室は,2列に5室を配している。「エンヤ」と呼ばれる式台を兼ねた縁を上がると,表側の「デ」,「ザシキ」を経て,床と違い棚を備える「ホトケサンノマ」へと至る。 こうした平面は八瀬の民家に見られるもので,京都市の周辺部には特徴的な民家形式が残る。八瀬天満宮の宮座構成員からは「高殿」と呼ばれる神職が年交替で選ばれる習俗が残る。玉川家から「高殿」が選ばれた年には,「ホトケサンノマ」は当主が潔斎浄居するための重要な空間となる。 玉川家は,八瀬童子を継承する家柄であり,宮座神事の習俗に用いられる空間構成を現在に伝えている点で,極めて高く評価することができる。江戸末期に遡ると考えられる主屋をはじめ,大規模な屋敷構えは八瀬天満宮周辺の集落景観の中心ともなっており,景観の構成要素としても重要である。 |
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