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一力亭(いちりきてい)[Ichirikitei]

所在地
 東山区
 
選定番号
 第10−029号
  


推薦理由(抜粋)
 元禄2年(1689)創業のお茶屋「万屋(よろずや)」に始まる。後に歌舞伎の演目に登場する茶屋の名前にちなみ「一力亭」とした。現在の建物は祇園の大火後,明治3年(1870)に復興した。赤壁が許された3軒のお茶屋のうち,唯一現存している。



認定番号
 第197号

認定理由
 一力亭は四条通と花見小路の角に建つ,祇園南側の大規模な「御茶屋」である。創業は元禄年間(1688〜1704)と伝わり,萬楼(よろずろう),万亭(まんてい)と称したが,やがて「万」の字を分解し「一力」と呼ばれるようになったという。大石内蔵助が討ち入り以前に豪遊した店としても知られる。敷地内には花見小路に面して建つ2階建の主屋,その東側で四条通りに面する2階建の座敷棟,南寄りに平屋建の奥座敷棟,その他3棟の土蔵が配されている。座敷棟は元治元年(1864)の大火後,明治期に入ってから再建されたと伝わる。元は同棟の四条通側に玄関が設けられていたが,大正元年(1912)に四条通に市電が開通したことに伴い,花見小路側に玄関部分を移動した。このため主屋は大正期に改築したものとされる。主屋は台所や内向きの空間が多くを占める。台所は土間と吹抜けの空間で現在もクドが残る。同2階には花見小路を見下ろすことのできる「新西」などの小座敷が配されている。座敷棟は,1,2階にそれぞれ次の間を伴う15畳の座敷を設けている。奥座敷棟は明治期に座敷棟に増築する形で設けられた。20畳の「オクノオモ」と,舞台としても使われた次の間からなり,一力亭で最も広い空間である。一部を除き,各棟ともベンガラを混ぜた赤い土壁が用いられている。奥座敷棟の南側には主庭が設けられ,飛石,伽藍石や蹲などが配される。
 一力亭は,京都を代表する歴史ある御茶屋であり,その営みは花街の文化を今日に色濃く伝えている。明治期に建築された大規模かつ質の高い御茶屋建築としても極めて貴重である。



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