所在地 山科区 |
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選定番号 第11−039号 |
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推薦理由(抜粋) 寛文6年(1666)に建立された本堂には,伝教大師(最澄)の自作で延暦寺根本中堂の御本尊薬師如来の余材をもって刻まれたと伝わる毘沙門天を安置する。向唐破風造の門などは京都では珍しいと感じる。 認定番号
第198号 認定理由 毘沙門堂は,護法山出雲寺と号する天台宗の門跡である。平親範が建久6年(1195)に平安京外東北の出雲路に創建したと伝わる。応仁の乱で衰微した後,寛文5年(1665)に公海が幕府の寄進を受けて現在地に再興し,元禄・宝永期に公弁が整備拡張したことで現在の寺観が整えられたとされる。現在,参道を登り仁王門を潜ると,毘沙門天を祀る本堂と,奥には霊殿や宸殿が建つ。本堂は寛文6年(1666)に上棟した建物で,本瓦葺,入母屋屋根の建物である。将軍家綱が大檀越となり,京都御大工頭中井正朝が大工頭をつとめた。霊殿は阿弥陀如来のほか,中興の祖である公海や公弁を祀る。霊殿の西側には門跡の公式な接客空間である宸殿,使者之間・玄関と,生活空間である隠所(隠寮),庫裏が配されている。宸殿は17世紀後半に造営され,六間取りの方丈形式の平面を有する。各室は金碧障壁画で飾られ,その画題により南側に四愛之間,九老之間,白鷺之間,北側に帝鑑之間,曲水之間,梅之間と名付けられている。玄関は,勅使門を通る賓客を迎えるもので,客溜まりとなる使者之間とともに,宸殿と同時期の建築である。隠所(隠寮)は,観音堂,弁天堂とともに,昭和初期に実業家・山口玄洞の寄進によって建てられた建物で,技師・安井楢次郎の設計によるものとされる。 毘沙門堂は,江戸中期までに整備された門跡の構成を良く残し,かつ近代以降も建物を加えながら充実した姿を見せている。17世紀の障壁画も多数残り,門跡の殿舎構成を伝える重要な文化遺産として高く評価される。 京都市指定有形文化財(建造物) ホームページリンク: 毘沙門堂のホームページはこちら(外部リンク) |
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